また、江戸時代に東海道を旅する際に、宿場に指定されていた小田原宿ではなく、箱根温泉に宿泊を希望するものが多かった。だが、当時は長期滞在を前提とした湯治客のみが箱根温泉に宿泊できたため、一泊のみの旅行者は泊まることができなかった。その抜け道として、一日だけ湯治を行うとする一泊湯治などと称して箱根温泉に宿泊したという。明治時代以降、医学の近代化が図られた際に、湯治の近代化として滞在型温泉療養施設の建設がドイツのエルヴィン・フォン・ベルツ博士から提案されたが、建設には至らなかった。一方、量、種類ともに豊かな温泉資源に恵まれた別府温泉では、1912年に陸軍病院、1925年に海軍病院が開設され、温泉療法が実践されていた。1931年には、日本の大学で初めての温泉療法の研究施設として、九州大学温泉治療学研究所が開設された。明治以降医学が発達しても、江戸時代に定着していた湯治文化はすぐに廃れることはなかった。明治初期の港湾整備で大阪、広島、宇和島などとの定期航路が開かれ急速に観光地化した別府温泉でも、戦後しばらくまでは湯治舟と呼ばれる小さな舟も瀬戸内各地から集まり湯治客で賑わった。しかし戦後の生活様式の大幅な変化により、文化としての側面が強い湯治も急速に廃れていった。特に農閑期である事を理由とした湯治は、別府鉄輪温泉や東北地方にわずかに残るのみで実態はほぼ消滅と言える。
また、国際的な温泉地の固定名称にもなったベルギーのスパは療養向けに発展した温泉地である。温泉街の規模が小さく、ホテルの個室内に療養用のバスタブが設けられており、日本の湯治向け温泉に雰囲気が似ている。だが、湯船に入るのは専ら療養目的であるので、日本のように”ゆったり浸って疲れを癒す”という概念は存在しない。ハンガリーでは古代ローマ時代から公衆浴場が建設され、2000年近くに渡る温泉文化を持っている。ブダペストはチェスができる混浴のセーチェーニ温泉などの温泉が100箇所以上ある。また、温水湖であるヘーヴィーズ湖も存在する。アメリカ大陸には日本ほどではないが、一部の火山帯を中心に温泉が点在する。その中で最も有名なのがアーカンソー州にあるホットスプリングスであり、1541年にスペイン人が原住民が古くから使用していた温泉を発見し、ここをホットスプリングと名付けた。しかし、ここは湯量が豊富であるにもかかわらず、西欧と同様湿度が低いために入浴の必要が無く、あくまでシャワー、サウナやマッサージとして使用されるにとどまっており、付随するカジノなどのリゾート施設が発展を後押ししている。また、ホットスプリングスも漫然として健康に良いと見做されていただけであり、温泉と医学も結びつかなかったために、国の広さに対して、温泉開発自体が途上状態にある。
温泉の代わりに、海水や井戸水の沸かし湯を用いている施設もある。また、水道水の沸かし湯に入浴剤を混ぜたり、ボイラー内でラジウムなどの鉱石や固形物の温泉疑似成分を溶かし合わせた「人工温泉」と称する施設も都市部やテーマパーク周辺に新設されている。1980年代までは温泉が湧出するのは山間部の地域などで限定的とされたが、1990年代以降ボーリング技術の進化により、1500mから2000m程度の深さまで掘削することで平野部でも湧出するようになり、2000年代以降、都市部における施設の新設開業が目覚ましい。 地方においては町興しの一環として温泉を掘削し、公営で入浴施設が営業されている事が多いが、都会ではレジャー産業の一種として、極楽湯のように全国展開する専業企業をはじめ、テーマパークやパチンコ店・一般企業の不動産再開発によって新設されることも多い。全国各地様々な温泉地に存在し、日帰り入浴施設のみの温泉地も数多い。新規に源泉開発をおこなった場合にこのようなケースが多く見られる。 鉄道駅に併設される例や、高速道路のサービスエリア、道の駅など交通の便がよい場所に設置される例もある。浅間温泉の枇杷の湯や加賀井温泉の様に、かつては旅館であったが宿泊営業を廃止し日帰り入浴施設化する場合もある。
また、日本温泉協会が定め各施設が任意で掲示する天然温泉表示看板にも循環、ろ過、加水等の有無について記載がある。これらは、2000年代初頭に、温泉入浴施設における入浴剤の使用、循環方式を採用する施設でのレジオネラ菌の繁殖等と併せて、などの不当表示が社会問題となったことを受けての措置である。