地図記号は、湯壺を表す部分と湯気を表す3本線の部分とに分割できる。湯壺の形状は1884年以来ほとんど変わっていないが湯気の形状は時期により変化しており、それは大きく3期に分けられる。第1期は1884年から1909年までで、湯気の形状は曲線である。第2期は1909年から2002年までで、湯気の形状が直線になっている。
八幡地獄は、鶴見地獄のすぐ裏手に存在した地獄で、戦前は観光客で大変賑わった。湧出量の低下により閉鎖され、現在は「八幡公園」という公園になっており、昔日の面影は全くない。八幡間歇地獄は、八幡地獄の裏にあった間歇泉である。観光化された当初は間歇地獄と呼ばれていたが、程なく朝日間歇地獄と区別するため八幡間歇地獄と呼ばれるようになった。昭和初期に八幡地獄に含まれるようになり、戦後は八幡地獄と同様閉鎖。朝日間歇は、八幡間歇地獄と同様の間歇泉であり、区別のために旧村名の朝日を被せたものである。こちらの方が規模は大きかったが、引き湯のために付近の泉源を整備した際に間歇泉の勢いが減少、八幡間歇地獄よりも先に閉鎖された。
学生時代から温泉めぐりを趣味としており、1998年から温泉に関するHPを持つなどしていた。同年にはテレビチャンピオンの第五回温泉通選手権に出場し、第3位に入賞している。同番組をきっかけとして、郡司勇は温泉評論家としての活動を始めているが、藤田はこの時点では評論家としての活動を行っていない。藤田が温泉評論家としての活動を始めるきっかけとなったのが、2000年にJTB主宰で行われた「第1回温泉旅行検定試験」において、第1位の成績を修めるとともに、検定協会から「温泉旅行博士」の称号を受けたことによる。以来、温泉評論家として藤田への注目が集まるようになった。翌年の「第2回温泉旅行検定試験」においても第1位の成績を修め、評論家としての活動を確固たるものとしている。現在では、雑誌の連載のほかに、All Aboutにおいて郡司とともに温泉関連のガイドを務めている。
掛け流しに対する注目が最初に集まったのが2000年から2002年にかけて発生したレジオネラ菌騒動である。日帰り入浴施設などに設置された循環風呂設備で繁殖したレジオネラ菌を原因とした死亡事故により、菌の繁殖の温床となった浴槽内循環機を用いない、昔ながらの掛け流しに対して注目が集まった。その後温泉愛好家の間では、その風呂が掛け流しか循環風呂かが温泉を楽しむ要素として着目されるようになっていった。2004年に発生した温泉偽装問題以降は、顧客の源泉志向に対応するため、源泉掛け流しをうたい文句にする旅館、入浴施設が多くなった。さらに現在では浴室が全戸掛け流しの温泉である事を宣伝文句にしたマンションまで現れている。なお、掛け流しという表現は、松田忠徳がその著書で自らが初めて用いたと主張している。源泉かけ流しの語は野口悦男が創ったとする見解もある。